「モノづくり」の中の人

腕一本で激動の時代を生き抜いてきた
創業者の思い。
それを受け継ぐ若手社員たち。
世代は変わっても、
モノづくりへの熱い思いは変わらない

ひとつひとつ、信頼を刻む。

有限会社 岸鈑金工業所 会長 岸 光彦

この手に刻まれたひとつひとつの皺が自慢だという。33歳で独立し、自らの手で20坪ほどの工場を建て、井戸すら自分で掘った。「どんな小さな仕事でも決して断らない」「難しい仕事こそ積極的に受ける」。お客様に喜んでもらえるモノづくりを常に企業理念の原点に、愚直なまでに仕事に取り組み、ひとつひとつ信頼を築いてきた。
あれから40数年。世の中は目まぐるしい変化を重ね、精密板金加工の世界も、もはやIT技術抜きでは語れなくなった。それでもやはり後を継ぐ者たちに、この手を見て、そして触れて欲しいと思っている。長年の板金作業で硬くなった皮膚の、その内側から伝わるぬくもり。仲間を思う心。お客様を思う心。さらには、お客様のその先のお客様をも思う心。作り手の気持ちは自ずと製品に現れ、必ず相手にも伝わる。最近、若手の社員たちの間にも、時代に合った新たなかたちで、そんな岸鈑金イズムともいえる精神が根付いてきていることを嬉しく思っている。
「ものづくりは人づくり」。岸の経営理念が、いま新たな実を結ぼうとしているのだ。

ひとつひとつ、信頼を刻む。

有限会社 岸鈑金工業所 会長 岸 光彦

この手に刻まれたひとつひとつの皺が自慢だという。33歳で独立し、自らの手で20坪ほどの工場を建て、井戸すら自分で掘った。「どんな小さな仕事でも決して断らない」「難しい仕事こそ積極的に受ける」。お客様に喜んでもらえるモノづくりを常に企業理念の原点に、愚直なまでに仕事に取り組み、ひとつひとつ信頼を築いてきた。
あれから40数年。世の中は目まぐるしい変化を重ね、精密板金加工の世界も、もはやIT技術抜きでは語れなくなった。それでもやはり後を継ぐ者たちに、この手を見て、そして触れて欲しいと思っている。長年の板金作業で硬くなった皮膚の、その内側から伝わるぬくもり。仲間を思う心。お客様を思う心。さらには、お客様のその先のお客様をも思う心。作り手の気持ちは自ずと製品に現れ、必ず相手にも伝わる。最近、若手の社員たちの間にも、時代に合った新たなかたちで、そんな岸鈑金イズムともいえる精神が根付いてきていることを嬉しく思っている。
「ものづくりは人づくり」。岸の経営理念が、いま新たな実を結ぼうとしているのだ。

生産性をリ・クリエイトする。

3D CADオペレーター 市塚範彦

さらなるステップアップを目指して岸鈑金工業所に転職。前職の経験を活かし3D CADをメインに担当している。入社当初は単純に部品レベルの展開データを作っていたが、最終的な組み立て段階で部品同士の干渉が発生し、修正や作り直しとなることが度々発生していた。そこで思いついたのが、最初から部品を組み合わせた状態で3Dデータを作ってしまうこと。もちろん従来以上に手間はかかるが、この方法を採り入れたことにより、会社全体の生産性は大きく向上した。部品同士の寸法のズレや干渉などの不具合の芽が、製造に入る前段階で完全につぶされているのだから当然である。今では市塚が製作した3Dデータを、現場の担当者が画面上で動かしながら製造を進めるのが岸鈑金工業所では当たり前の光景となった。
プライベートでは、ネットで見つけたレシピを家族にふるまうことにハマっている、二人の小学生の父。次の夢は、金属用3Dプリンターで岸鈑金オリジナルの製品を作ることだという。市塚のクリエイティビティは止まらない。

生産性をリ・クリエイトする。

3D CADオペレーター 市塚範彦

さらなるステップアップを目指して岸鈑金工業所に転職。前職の経験を活かし3D CADをメインに担当している。入社当初は単純に部品レベルの展開データを作っていたが、最終的な組み立て段階で部品同士の干渉が発生し、修正や作り直しとなることが度々発生していた。そこで思いついたのが、最初から部品を組み合わせた状態で3Dデータを作ってしまうこと。もちろん従来以上に手間はかかるが、この方法を採り入れたことにより、会社全体の生産性は大きく向上した。部品同士の寸法のズレや干渉などの不具合の芽が、製造に入る前段階で完全につぶされているのだから当然である。今では市塚が製作した3Dデータを、現場の担当者が画面上で動かしながら製造を進めるのが岸鈑金工業所では当たり前の光景となった。
プライベートでは、ネットで見つけたレシピを家族にふるまうことにハマっている、二人の小学生の父。次の夢は、金属用3Dプリンターで岸鈑金オリジナルの製品を作ることだという。市塚のクリエイティビティは止まらない。

仲間とともに、さらに上へと。

精密板金加工担当 日向野尊正

若く見られるが、在社20年のベテランだ。前の会社を辞め、次はどうしようかと考えているときに、先輩の誘いでこの会社に入った。全くの異業種で、最初は図面の見方すらわからず苦労も多かったが、持ち前の職人気質に火がつくのに、さほど時間はかからなかった。知れば知るほど奥深い精密板金加工に熱中するなか、常に大きな目標としてあったのは、職人としての会長 岸 光彦の存在だった。金属の曲げや溶接の際に発生する材料の歪みや狂いを、会長は手の感覚と目視のみで、寸分のズレもなく調節していく。膨大な経験の蓄積によってのみ為し得る、まさに神業だ。そんな会長に一歩でも近づきたくて、来る日も来る日も材料と対話を重ねた。「仕事で初めて会長に褒められたときは、本当に嬉しかった」と語る日向野。そんな彼も、今では会社の仲間から一目置かれる存在となった。
上へ、さらに上へ。仲間とともに歩む岸鈑金での日々は、今の日向野にとってかけがえのないものだ。この仕事に就かなければ出会うこともなかった他人同士が、「ものづくりが好き」というそのただ一点でだけで、一つ屋根の下、同じ目的に向かって今日も突き進んでいるのだから。

仲間とともに、さらに上へと。

精密板金加工担当 日向野尊正

若く見られるが、在社20年のベテランだ。前の会社を辞め、次はどうしようかと考えているときに、先輩の誘いでこの会社に入った。全くの異業種で、最初は図面の見方すらわからず苦労も多かったが、持ち前の職人気質に火がつくのに、さほど時間はかからなかった。知れば知るほど奥深い精密板金加工に熱中するなか、常に大きな目標としてあったのは、職人としての会長 岸 光彦の存在だった。金属の曲げや溶接の際に発生する材料の歪みや狂いを、会長は手の感覚と目視のみで、寸分のズレもなく調節していく。膨大な経験の蓄積によってのみ為し得る、まさに神業だ。そんな会長に一歩でも近づきたくて、来る日も来る日も材料と対話を重ねた。「仕事で初めて会長に褒められたときは、本当に嬉しかった」と語る日向野。そんな彼も、今では会社の仲間から一目置かれる存在となった。
上へ、さらに上へ。仲間とともに歩む岸鈑金での日々は、今の日向野にとってかけがえのないものだ。この仕事に就かなければ出会うこともなかった他人同士が、「ものづくりが好き」というそのただ一点でだけで、一つ屋根の下、同じ目的に向かって今日も突き進んでいるのだから。

つながり続ける、点と点。

精密板金加工担当 小笠原清一

出身は岩手県。地元で10数年務めた会社は、震災で辞めざるを得なくなった。次に勤めた仙台の工場は、労務管理に大きな問題を抱える会社だった。いずれも、いわゆる「部品」を作る会社で、そのことに物足りなさを感じるようにもなっていた。自分の腕を活かして「完成品」を作ってみたい。そんな思いが膨らむ中、天の声ならぬ妻の声が背中を押した。「場所はどこでもいいじゃない。本当にやりたいことをやってみたら?」。そして、たまたま巡り会ったのが岸鈑金工業所の求人だった。「全て面倒を見るから、うちに来い」。そんな会長の言葉に心を決めた。岩手の会社で溶接や曲げ、タップなど、あらゆる工程を経験していたことが、岸鈑金の仕事でも生きた。岸鈑金は、一人の作業員が全行程を受け持つ多能工の集団なのだ。
いいことも悪いこともあったが、全ての点と点はつながり、今の自分がここにある。夢を実現するための舞台を得た今、小笠原は、仲間やお客様とのつながりをひとつひとつ大切に、日々、製品と向きあっている。ものづくりのさらなる高みを目指している限り、このつながりが途切れることは決して無いのだろう。

つながり続ける、点と点。

精密板金加工担当 小笠原清一

出身は岩手県。地元で10数年務めた会社は、震災で辞めざるを得なくなった。次に勤めた仙台の工場は、労務管理に大きな問題を抱える会社だった。いずれも、いわゆる「部品」を作る会社で、そのことに物足りなさを感じるようにもなっていた。自分の腕を活かして「完成品」を作ってみたい。そんな思いが膨らむ中、天の声ならぬ妻の声が背中を押した。「場所はどこでもいいじゃない。本当にやりたいことをやってみたら?」。そして、たまたま巡り会ったのが岸鈑金工業所の求人だった。「全て面倒を見るから、うちに来い」。そんな会長の言葉に心を決めた。岩手の会社で溶接や曲げ、タップなど、あらゆる工程を経験していたことが、岸鈑金の仕事でも生きた。岸鈑金は、一人の作業員が全行程を受け持つ多能工の集団なのだ。
いいことも悪いこともあったが、全ての点と点はつながり、今の自分がここにある。夢を実現するための舞台を得た今、小笠原は、仲間やお客様とのつながりをひとつひとつ大切に、日々、製品と向きあっている。ものづくりのさらなる高みを目指している限り、このつながりが途切れることは決して無いのだろう。